top of page

シロートアルファと王様オメガ

花流/Ωのフェロモンが強すぎる流とαとしての経験値が足りない花の話です。

「大変申し訳ないのですが、我々には手に負えない面があります」

 西日の差す小学校の廊下で、桜木花道はそんなことを言う担任教師の声を聞いていた。桜木に向けて言われているのではなく、少し離れた教室で面談をしている桜木の父に対して話している内容だ。

 普通は聞こえないだろうそれも、桜木にはしっかりと聞こえていた。壁に背を預けて、拗ねたように唇を突きだす。それから、自分の手で両方の耳を塞いだ。

「花道」

 どのくらいそうしていたのか、気付けば廊下で寝こけていたらしい。心配そうに、少し呆れた笑みを浮かべた父親が覗き込んできていて、桜木は立ち上がった。

「晩ご飯は何が良いかな」

 桜木は何も言わなかった。俯いたまま、父の広い背中についていく。

「なあ、花道」

 途中で立ち寄ったスーパーで買ってもらったソフトクリームを舐める桜木に、父親は言う。

「花道は、転びそうな子を助けようとしたんだよな?」

 それは問いではなく、確信を含んだ確認だった。花道は顔を上げた。父の穏やかな瞳に、泣きそうな自分の顔が映っている。

 大きな掌が伸びてきて、頭を撫でられた。

「大丈夫、大丈夫」

 父親がおまじないのように言う。桜木はソフトクリームに齧り付いた。甘いそれには、塩辛い味が混じっていた。

 

 

「ん」

 とんでもなく短い言葉というか、もはやただの音でしかないそれと共に手渡されたのは、バスケットボールや練習着と思わしき衣類に、バスケットシューズだった。

 事前に、赤木晴子から「みんなからってことでお見舞いさせてね」と連絡をもらっていたので、何かしらをもらうことについては驚いてはいなかった。桜木が驚いて固まっているのは、そのお見舞いを持ってきた人物についてだった。

「もらえ」

 不遜すぎる言い方でなおも押し付けられる、晴子のセンスと思われる可愛くもオシャレな包装を、桜木は思わず手に取った。それに対して、満足気に鼻を鳴らすのは、犬猿の仲と自他共に認識されている、流川楓。

 なんでよりにもよってコイツが渡しにきたのだ。桜木の疑問は尤もであった。せめて他の一年であれ。晴子に来てほしいとまでは言わないから。

「ふう」

 そんな桜木の荒れる胸中も何のその、流川はリハビリセンターから帰ってきたばかりの桜木の家に上がり込み、卓袱台の前に腰を下ろしていた。キョロキョロと部屋の中を見回し、「ほー」という顔をしている。

 ようやく少しばかり思考が正常化してきた桜木は、そんなマイペースの権化たるキツネ男の旋毛を見下ろした。ツヤツヤの黒髪が憎たらしかったので、頭頂部をドスッと押してみた。

「コロス」

「何をしに来たんだキサマは!」

 殺気を放ってくる流川に、桜木はガルルル、と牙を剥いた。流川は頭頂部を抑えたまま、「みまい」と言った。単語しか発せられない異星人と会話をしている気分になった。異星人と出会ったことはもちろん無いのだけど。

 桜木は流川の向かい側に腰を下ろした。コルセットがどうにも邪魔で、こういう動作は緩慢になる。

 それを、流川はジッと見つめていた。

「いつ」

 流川が言う。

「戻ってくる?」

 その声は、なんだか途方に暮れているようにも聞こえて、桜木は「ぬ?」と片眉を持ち上げた。目の前の表情筋が死滅した顔には特に何も変化は無かったが、その声は明らかに悄気げていた。いや、これはどちらかというと、「不貞腐れている」感じだ。

「なんだぁ?この天才の価値にようやく気付いたかキツネ。さてはオレがいないと予選も勝ち進めないと弱気になっているな?」

「……どあほう」

 一気に流川の声が底冷えする響きに変わった。桜木は笑った。手を伸ばして、先程はどついた頭をワシワシと掻き混ぜた。流川はなすがままになっていた。

「冬には戻る。せいぜいオレのために舞台を整えておけよ、キツネ」

 そう言ってやると、流川はキョトン、とした顔になった。「冬……」と呟くや、物凄い勢いで立ち上がる。のわっ、と身を引いた桜木を見下ろして、コクリ、と頷く。何の頷きだ。

「渡したから」

「あ?」

「みまい」

「あ、ああ……おう。はっ!晴子さんに礼を言わなければ!」

 一気にソワソワしだした桜木は、晴子の明るくも嫋やかな笑みを思い出して頬を染めた。それを、流川は何やらしばらく見つめてから、「帰る」と言って去って行った。

「嵐のようだった……」

 一人、ポツン、と残された部屋で呟くが、もう何も声は返ってこない。

 さて、夕飯は何にしようか。

 自分の中の柔らかいものを誤魔化すように立ち上がり、冷蔵庫と向き合った。合鍵を預けている水戸洋平が「適当に入れといた」と言っていた通り、三日くらいは買い物に行かずともなんとかなりそうな食材が揃っていた。

 こういう時の夕飯は、オムライスに決まっていた。いつかの夕焼けと広い背中を思い出しながら、卵を手に取った。

 医者とリハビリの担当に言われたことには、桜木の怪我はとにかく「固定」と「安静」が第一で、リハビリはその後になるらしい。

「背骨の骨折はもちろん大変なことなんだけどね、だいぶ強く打ったのか筋肉と靭帯もやられてる。まずはそこを治すのが先決だね」

 穏やかに告げる医者は、「まあ、でも」と続けた。

「焦らないことが一番。特に君の場合は」

「ぬ?」

「君はαだね?」

 唐突にそんなことを言われて、桜木は首を傾げた。あるふぁ。αとは、桜木の人生において最も聞き慣れた単語のうちの一つだった。そして、どうにも気に食わない言葉の一つでもあった。

 ふむ、と顎に手を当てて黙った桜木を、医者はどこか興味深げに見やってきていた。

「まずは、負傷箇所の腫れが引いて骨がくっつくまで入院としましょうかね。その後、少しずつリハビリだ」

 そういうわけで、ここから数日間、桜木は極度に身体の動きを制限されることになる。

 そんな日々のことを思い出しながら、フライパンに溶いた卵を落とした。薄く広がるそれに少しずつ火が通っていくのを、ジッと見つめる。

 リハビリは終わったわけではなく、これからも定期的に通うことになるし、部活にもすぐには復帰できないと言われた。脅威の速度で負傷箇所が治り、骨もくっついたと医者は大はしゃぎしていたが、ここから先は忍耐が必要になるとも。

「大丈夫、大丈夫」

 呟きながら、いい感じになった卵をケチャップライスに乗せる。それから、卵の黄色に赤いケチャップを付けていく。

 さて、何の形が良いだろうか。

 そこで、不遜なキツネの置き土産を思い出した。その中にはバスケットボールがあった。誰の案かは知らないが、気が利くなあと思った。

 卵の上には、赤色のバスケットボール。頭の中で、それが跳ねて音を鳴らす。

 どあほう。

 ボールの音の合間に、偉そうな低音。桜木は視線をカレンダーに移した。

「……うっし」

 一つ、気合を入れてからオムライスの乗った皿を卓袱台へ移した。

 

 

 相談の結果、リハビリセンターへ通う日と部活に顔を出す日を決めて、少しずつバスケットボールに触れる時間を作ることになった。その相談には安西も同席をして、桜木に説明をしたり諭したり宥めたりと、まるで保護者のようにこれからの道標を示してくれた。

「焦らない、焦らない」

 暗示のように言われる。桜木は「分かってるよ!」と頬を膨らませた。

「しかし、先生。桜木君は凄いですよ」

 医者が目を輝かせながら言うので、桜木は眉を寄せた。この医者は恐らく腕は良いのだろうが、どうにも桜木を研究対象か何かのように見ている気があった。

「私も長年、色々な患者さんを診てきましたがね、こんなにαとして恵まれた子には初めて会いました」

「ふむ……」

 安西が桜木を見てくる。桜木は「なんだよオヤジ」と、安西の顎をタプタプした。今日も絶好調にぷにぷにである。

「桜木君、明日から部活にも参加することになります」

「おうよ」

「君はこの夏で大きな変化をすることになった。色々な意味でね」

 言いたいことが分からない、という顔をしていると、安西は頷きながら続けた。

「君のこれから数ヶ月の目標は、変化を恐れないことだ」

 

 そんなことを言って笑った安西の顔を、桜木は思い出していた。

 確かに、桜木はあの時「んなもんにビビるかよ」と息巻いたし、地道なリハビリと制限のある特別メニューの練習にも耐えられると思っていた。しかし、違ったのである。

 変化とは、痛みだとか理不尽への怒りだとか、そういうことではなかったのである。

 桜木にとっての変化とは―ー

「さくらぎ……っ」

 それは、まるで蜂蜜と花が煮詰められたような、脳みその真ん中を殴りつけるような、そんな声だった。

 顎から滴った汗が、眼下の白い首筋に落ちるのが、スローモーションのように見える。自分の身体から、制御できない何かが溢れているのを自覚していたが、止めることができなかった。試合後のように上がった息は、まるで獣だ。

 なんだこれ。なんでオレの下に流川がいる?

 今日は夏以来、ようやく部活に復帰できた日だった。正確には、完全復帰ではなく医者と理学療法士と安西が相談をして決めた特別メニューを、体育館で行うことになっていた。だから、久しぶりに晴子や他の部員達にも会えると、意気揚々で教室からここまで来たのである。

 それが、どうして犬猿の仲である男を押し倒し、あまつさえ興奮してしまっているのか。

「ルカワ」

 自分の声が、なんだかいつもと違って聞こえた。目の前の首筋に、この歯で噛みついて、自分のものにしなければという欲求で頭がいっぱいになる。違う、待て、今日はこんなことをしに来たんじゃねえだろ。オレはバスケをしに来たんだ。

 水戸が「おめーら花道抑えろ!死んでも離すな!」と叫んでいるのを、どこか遠くに聞いていた。視線は、床に縫い付けた流川から離れない。流川も、ゆらゆらと揺れる黒い瞳で桜木を一心に見つめてきていた。まるでそれが、リハビリの間に何度も通った海のようで、胸がいっぱいになった。

 息を吸えば、蜂蜜と花の香り。視線の先には、揺らめく海。

 コイツは、オレの――

「桜木花道ーー!!!」

 もう少しで手が届く、と思ったその時、溌剌とした声と共に鼻先にスプレーを噴射された。何やらミントのような匂いのそれは、一気に桜木を正気に戻した。顔を上げると、彩子がいた。次いで、首筋に何かを刺される。

「えっ」

 白衣を着た小柄な背中が、桜木の首元から手を離すや、今度は流川へ同じように何か注射器のようなものを刺していた。途端、急激な目眩に襲われ、桜木は白目を剥いて昏倒した。

 変化とは、つまり、大人になるということだった。

 

「さて、桜木君」

 目を覚ますと、謎の和室に寝かせられていた。勢いよく起き上がろうとした桜木を、「こらこら」と押し留めたのは、安西だった。

「私は、変化を恐れないことが目標だと言いました」

 状況が掴めない桜木に、安西は穏やかに言う。

「君は今日、大きな変化を迎えた。分かるかな?」

「……なんか」

 ゆっくりと身体を起こして、安西と向き合う。

「ルカワの奴が」

 しかし、そこまで言って、上手く言葉を継げなくなった。力無く投げ出された手を、安西のふくよかな手が握ってきた。

「流川君は、Ωです。そして、君はαだ」

「オレの知ってるΩと、アイツはちげえ」

「そうだね」

 安西が頷く。桜木は鼻頭に皺を寄せた。

 

 

 幼い頃、恐らくまだ小学校に上がったくらいの頃だ。桜木は父親と共に病院へ行った。

「花道君は、αの特徴がとても強いです」

 病院で、医者がそんなことを言っていた。父親が酷く驚いていたのを、今でも覚えている。

「花道君自身は、きっと丈夫に育つと思います。けれど、身体の発達が早いので、もしかしたら、周りの子供達の中で苦労することもあるかもしれません。例えば、そんなに力を入れたつもりじゃないのに、怪我をさせてしまうとか。ふとしたことで、怖がらせてしまったりだとか」

「そう、ですか……」

 父親が、桜木の頭を撫でてきた。桜木は医者をジッと見つめていた。

「それから、これはまだ先の話になるとは思いますが、フェロモン値が高いので早めに注意をしてあげてほしいんです。花道君はαとして、とても強い性質を持っています。通常、身体と心の成長に合わせてフェロモン濃度も変化をして、バース性は確定されるものなのですが、そのための段階を飛び越えて、花道君にはαの特徴が出ているんです」

 そう語る医者は、とても真剣な顔をしていた。良い医者だったんだろうな、と今なら分かるが、当時の桜木にとっては小難しい話をするだけのオッサンでしかなかった。ただ、あの時の医者の、ある言葉だけは強く桜木の中に残っていた。

「Ωの中には、花道君に強い反応を見せる人も出てくるでしょう。それが、花道君が大人になってからなら良いけれど、まだ心と身体が発達途中の段階に出くわしてしまった時、花道君は自分で自分を守らなければいけません」

「まもる?」

 そこで初めて、桜木は声を発した。医者の視線が、父親から桜木へと移動してくる。その目は、やはりとても真剣だった。

「そう。花道君、君は君自身を守らなくちゃならない。君が子供のうちは、自分を守ることを第一に考えるんだ。分かるかな?」

 それは、つまり、目の前で桜木を狙うΩが現れたなら、全力で逃げろという話だった。桜木が大人になるまでは、どんなに魅力的なΩの誘惑でも、絶対に付け入る隙を見せるなと、医者は語った。

「大人になった時、君が一番大切な人を見つけるためにも、約束してほしいんだ」

 あの時の医者は、きっと沢山の悲しい事例を見てきたのだろう。

 

 安西の前で俯きながら、桜木は思った。これまで、何人かのΩに出くわすことがあった。小学生の頃には大人の男のΩに付き纏わられたこともあるし、出かけると必ず妙な視線を向けられていると感じた。中学に上がると、身体がより大きくなり力も付いて、次第に周りからの認識は「恐いα」になっていったのだと思う。桜木自身もすっかり医者との約束が板について、目の前でΩがヒートを起こしたとしても、気合で乗り切ってしまうようになっていた。

 だから、桜木の世界では、Ωは厄介な存在でしかなかったし、目の前に現れたら逃げなければならない対象でもあった。だからこそ、βの女の子ばかり好きになっていたのかもしれない。

「アイツは、本当にΩなのかよ?」

 桜木は安西に険のある声音で問うた。安西は、またいつものように何か考えるような様子になってから、「そうですね」と頷いた。

「流川君は、Ωの王様と言われたそうです」

「王様だとォ!?」

 偉そうにあのキツネ!

 桜木が歯をギリギリさせると、安西は愉快そうに笑い声を零していた。

「流川君のフェロモンに君が気付かなかったのは、気付かないようにしていたからだろうね」

 そう言われて、桜木は口を曲げた。心当たりしかなかった。

 幼い頃からΩという存在を避けて、出くわせば全力で逃げ、フェロモンを向けられれば気付かないフリばかりしてきたものだから、逆にあのレベルのフェロモンが近くにいたことで、すっかり麻痺していたようだ。

「うん。あと一週間で選抜の予選が始まるからね、今はそっちに集中したいだろう。君も、流川君も」

「おうよ」

「なので、桜木君には一週間以内に、普通にΩのフェロモンを感じ取れるようになってもらいます」

「あ?」

 安西が嬉しそうに頷くのを、桜木は呆然と見返すしかなかった。

 

 曰く、Ωとαはただの体質であって、決して恐れるべきものでもなければ、特別に考えるべきものでもない。大切なのは、相手の体質を理解すること。体質による違いや、自分には無い特徴を受け入れること。

「君にΩから逃げるよう教えたお医者さんは間違ってはいない。君もまた、そういう体質だったと考えるのが良いだろう」

 安西が言うのを、桜木は素直に聞いていた。何故か分からないが、今なんとかΩとαについて理解をしなければ、大事なものを失うような予感があった。

「ただ、それは君が子供だったからこそ。今の君はもう、ほとんど大人としての一歩を踏み出しつつある。自分で考え、判断する能力が必要になってくるでしょう。それは、この夏に随分と見させてもらいました」

「でもよオヤジ、目の前でΩがヒートになったら、オレらは離れねえとだろ」

「その通り。でもそれはね、逃げるということではないんですよ」

 どこからか持ってきたホワイトボードに、安西は「αの権利と義務」と書く。

「Ωにもαにも、人権があり、バース性に係わる権利がある。αは、合意の無いΩがヒートを起こしているところに出くわしてしまったら、救護活動を放棄する権利があります。これは、αだけでなくΩを守るためのものでもある。αがΩを傷付けることを避けるのは、当たり前のことだ」

 ふむ、と桜木は顎に手を当てた。つまり、行動に違いは無いのだけれど、その行動の理由は「逃げ」ではなく、「そうした方がみんなのため」に変換すれば良いと、安西は言っていた。

「緊急の抑制剤も、α用のものが最近認可されました。これを携帯しておけば、不安が一つ減るかもしれないね」

「なるほど」

 怪我で入院していた時に、ついでにと処方された錠剤のことを思い出す。確かに、何も無いよりは心の余裕が違うような気がした。

「そして、これが実は一番大事なこと」

 安西が人差し指を立てて言う。

「Ωもαも、番となる権利がある」

「つがい」

 オウムのように繰り返した桜木に、安西が「そう」と頷く。

「もちろん、番にならない権利もある。こればっかりは、そういう相手に出会ってみないことには、分からない。だから、まずはΩという存在を恐れない。彼ら彼女らは、決してαを陥れるための存在ではないし、一人一人に人格があり、考え方も生い立ちも、フェロモンの強さもαに対する思いもそれぞれです」

 うんうん、と桜木は首を上下させた。なんだか分かってきたぞ、と思いながら、昨日のことを思い出す。

 どうやら、昨日の流川のヒートは桜木が引き出した突発的なものだった、らしい。なので、流川は抑制剤を準備していなかった。流川がΩだと知っていた、もう一人のΩである三井は、すぐに状況を理解して桜木に「動くな」と指示を出した。

 あの声が無ければ危なかったな、と今になって少し怖くなったが、「怖がらない」と安西に言われて口を曲げた。

 なんなら、桜木は三井がΩであることも気付いていなかったのだが、それはどうやら三井の体質によるものらしい。先程、様子を確認するために安西家へかけてきた電話口で、「お前は喫茶店のコーヒーに発情できるか?」と訊かれて本当に意味不明だったのだが、まあミッチーはいつもそんなもんだしな、と失礼なことを思う。

 Ωにも色々いるし、αにも色々いる。

「リョーちんはαだよな?」

「ふむ……桜木君は、αのことは見分けられるんですね」

「ぬ?」

 普通は違うのか、という顔をしていると、安西がまたホワイトボードに何かを書く。今度は「αの匂い」と書かれていた。

「αの匂いは、一般的にはΩじゃないと嗅ぎ取れないと言われているね。実際、私には桜木君の匂いは分からない」

「オレも匂いは分かんねえよ。ただ、αなのかどうかはなんとなく分かる。リョーちんはちょっと分かりにくかったけど」

「うんうん、それも体質だ」

 こんな調子で、三日ほど安西との問答を続け、少し落ち着いたということで登校することになった。流川も突発的なヒートだったので、その日のうちにほとんど収まったらしい。

「花道ー!」

 三日ぶりの桜木軍団が、一斉に駆け寄ってきた。

「お前!大丈夫なのか!?」

「あのスプレーの成分知ってるか!?インポになるやつらしいぞ!!」

「花道の花道が……!」

「何の心配だ!!!」

 桜木は激怒した。順番に頭突きをかましていって、最後に水戸と向き合った。

「元気そうで何より」

「洋平……」

 水戸は、困ったように笑うと、トス、と桜木の胸元に拳を当ててきた。それから、桜木の肩越しに何かを見ると、「やれやれ」と肩を竦め、うずくまる仲間達を連れて校舎の方へと向かってしまった。

「どあほう」

 その声は、まるで引力でも持っているかのように、桜木を引き寄せた。振り向いて、自分とほとんど同じ位置にある瞳に視線を合わせる。黒く静かな海が、引いては寄せる波のように光を湛えていて、目が離せなくなった。

 何も言えないまま立ち尽くす桜木に、流川は何やら満足気に鼻を鳴らしてみせた。

「冬まで、連れてってやる」

「あ?」

 それは、数週間前に自宅に押しかけてきた流川との会話の続きのようだった。頭の中に浮かんでくる、バスケットボールを描いたオムライス。一人の部屋で繰り返した、「大丈夫」。そうだ、冬に戻ると言ったのは、他でもない自分自身で。

「……!」

 その瞬間、桜木の世界は一変した。

 目の前の流川から、甘い匂いがした。それは、決して桜木を誘惑するものでも、絡め取ってくるようなものでもなく、ただ、まるで言葉足らずの本人を補うように、桜木に「バスケをしよう」と言ってきていた。

 これが、Ωか。

「お前がいなくても別に勝てるけど」

 なんだか可愛くないことを言いながら去ろうとする流川の腕を、思わず掴んだ。

 本人のぶっきらぼうさを無視して、流川のフェロモンは鼓舞するように、桜木をくすぐってきていた。

「ルカワ」

 桜木は初めて流川に言葉を伝えたいと思った。果たしてそれが、どういう言葉なのかも自覚しないまま、とにかく、今伝えなければと自分の中の何かが叫んでいた。

「ぜってー戻る」

 そう言って、少し恥ずかしい気持ちになって腕を離した。流川はしばし呆然として、それから、思いっきり桜木に抱き着いてきた。

「おい!?」

「待ってる」

 耳元で、流川が言う。周りでは流川の親衛隊やら、先に行ったはずの水戸達やら、沢山の生徒が騒ぎまくっていたが、それどころではなかった。

 早鐘を打つ心臓に、桜木は慄く。しかし、恐れてはいけないと言い聞かせて、既で踏みとどまった。胸と胸をくっつけている流川には、しっかり鼓動も伝わっていて、「心臓はえー」とまた耳の傍で呟かれた。声まで甘く感じて、流石に焦りだす。

「ルカワ!!」

 肩を掴んで引き離すと、「なに」と不満そうな顔をされた。解せぬ。

「お前を倒すのはオレだ!!」

 それは、きっとシチュエーション的には大間違いの言葉だった。けれど、桜木と流川の二人にとっては、これで大正解の言葉だった。

 流川が笑う。

「ジョートー」

 

 

「日本一になる」

 それを聞いたのは、もう二年も前のことだ。

 大歓声と熱気に満ちたここにも、すっかり馴染んできてしまったと、どこか外れたことを考えていた。そのくらい、「日本一」というのは大きなものだった。

 一年生のあの時以来、掌を合わせるのは二度目だった。結構伸びた自分の身長と、そこそこ伸びた相手の身長は、ほんの少しだけ差を作っていたけれど、いつだって自分達は対等だった。

「桜木」

 名前を呼ばれて、桜木は無言で相手を見やった。黒い海が揺れていた。

「アメリカに行く」

 このタイミングで言うのかよ。そんなことを思いながらも、桜木は「おう」と頷いた。周りはIH制覇を喜ぶチームメイト達に囲まれているのに、二人だけが今ではなく未来を見ていた。

 とまあ、ここまでは美しいスポーツマンの青春の話である。

 健全に健全を掛け合わせたような二年半を思い返しながら、桜木は現実逃避をしていた。

「こっち見ろ」

 見上げる先には、不機嫌そうなキツネ。横を向けば、利用用途の分からないやたらとデカい鏡が貼り付いた壁。そう、ここはいわゆるラブホテルという場所である。また視線を逸らした桜木の頬をむんず、と掴んだキツネこと流川が「どあほう」と唸った。

「やるぞ」

「ふざけんなオメー!どこに連れてくのかと思えば!!」

「別にウチでも良かったけど」

「良いわけねえだろアホギツネ!」

 がばり、と起き上がった桜木は、ベッドヘッドに背中を預けて流川から距離を取ったが、すかさず膝の上に乗り上げてきた流川から両腕で頭を囲われる。世が世なら壁ドンというやつである。

「やりたくねーの」

 流川は拗ねていた。

 てっきり勢いといつもの鬼のようなオフェンス力で突っ走っただけかと思っていたのだが、どうやらちゃんと感情と思考を結びつけた結果の行動だったらしい。

「そうじゃねえよ」と桜木は口を尖らせた。そこに、形の良い薄い唇が重なってくる。ぶわり、と髪が逆立つような感覚になり、慌てて流川を自分から引き離した。

「オレなりのプランってやつがあるんだよ!」

 桜木は吠えた。それは恋多き男(過去形)の魂の叫びでもあった。

 好きになった子と一緒に登下校をして、手を繋いで、それからデートをしたりして。何回目かのデートの帰り際にキスをして、次の約束をして帰路につく。そういう恋に、桜木という男は憧れていたのだ。

「ふーん」

 流川が残念なものを見る目で見てきていたが、桜木は大真面目だった。なんせ、自分と流川はまだお付き合いを始めて三日しか経っていないのである。

 三度目のIHが終わって、一週間程経ったある日、流川が桜木の家に来た。来年の春にはアメリカへ行くことや、その準備もあって冬の選抜には出ないということを少ない言葉ながらに語った流川に、桜木は告白した。ムードなんか一つも考えていなかった。ただ、流川に言わなければならないと思ったのだ。

 流川は頷いた。初めて見る、心底嬉しそうな笑みを浮かべていた。

「あの時は可愛かったのに……」

 ふてぶてしく自分の腹に乗り上げようとする男を見ながら、桜木は大きな溜息を吐いた。こんなはずでは、と心の柔らかい部分が泣いていたが、相手が流川なんだからさもありなん、と三年弱の中ですっかり図太くなった情緒は呆れたように受け入れていた。

 一つ鼻を鳴らして、流川の肩を掴む。ていや、と体勢を入れ替えて、シーツへその背中を押し付けてやると、流川は「ん」と口を突き出してきた。桜木は口を曲げた。

「お前、ヒートじゃねえだろ」

「そー」

 ヒートの時じゃ意味が無い。そう口にせずとも、流川の瞳は雄弁に語っていた。随分と惚れられたものだと、自分自身に感心しながら、「分かった」と頷いた。

「準備した」

「マジかよ……」

「想像すんな」

 ゴツン、と頭突きをかまされた。大して痛くはないし、それより流川が自分で準備をしてきた事実に、血が上りそうだった。

 自分は可愛い女の子が好きだったはずなのに。二年半前の自分が脳内で喚いていたけれど、まあ、人間というのは分からないものなのである。桜木は少し大人になって、そういうことを知った。それに、かつての自分は手に入らないからこそ、柔らかくて優しくて可愛い彼女達に恋をしていたのかもしれないとも。

「桜木」

 低い声に名前を呼ばれる。見下ろすと、珍しく頬を薄く染めた流川が、伺うように見やってきていて、「ううむ」と唸り声をあげてしまった。顎の細い顔に触れて頬を包み込む。小さい頭である。

「言っておくが、オレは童貞だぞ」

「じゃなきゃコロス」

「お、おう……」

 メラメラしだした流川が少し面白くなってきて、桜木は喉奥で笑った。

 仕方ねえなあ。

 大人になった桜木は、一生懸命に自分を「お誘い」してくるΩに、ちゃんと返事をすることにした。もう、二年前の怖がって逃げていたαの子供はいないのだ。

「お前、ホント白いな」

 身に着けているものを全て脱がせて、自分も上半身を晒したところで、相手の身体に見入った。流川曰く、「ヒートじゃないから触ってもつまんねーと思う」とのことだったが、その肢体はあまりにも美しく、そして、蠱惑的だった。ひたり、と触れた左胸から、規則正しい鼓動が伝わってきた。

「舐める」

「あ!?」

 急に股間に這いずってくる流川に、桜木は慌てた。頭を抑えて止めると、非常に不満そうな顔で見られたが、引くわけにはいかなかった。

「勃たせねーと、入らねえし」

 流川が明け透けに言ってくる。桜木は呻いた。それから、流川の手を引いて自身のそこに当てさせた。パチクリ、といった様子で流川がそこを凝視する。凝視はやめろ。

「勃ってる」

「勃つだろそりゃ……」

 好きな相手の裸体を前に、フニャフニャのままでいられるわけがあるか。桜木は実のところ、物凄く我慢をしていた。

 流川がコクリ、と喉を鳴らして見上げてきた。その目がトロリ、と蕩けていて、桜木は目を丸くした。ヒートではない。それは確実だが、今の流川からは桜木への感情がフェロモンとして溢れ出していた。

「痛くていいから」

「よくねえよ」

「いい」

 早く、お前のが欲しい。

 夜の海から、雫が落ちた。

 

 指を既に三本咥えこんだそこは、確かに自分で濡れることはなかったし、何度もローションを足してやっと桜木の指を受け入れていたが、どう見ても性器だった。桃色に染まり、中を擦り上げるものに嬉しそうに吸い付いてくる。

「も、いい……っ」

「もう少し、だろ」

「さくらぎ……!」

 こんなに切羽詰まった声は初めてで、桜木はハッとして流川を覗き込んだ。涙でグズグズになった顔に、いつもはサラサラの黒髪が張り付いている。それを優しく掻き上げて、額に唇を落とすと、「そこじゃねー」と文句を言われた。

 お望み通り、薄く柔らかなそこに自分の唇を重ね合わせて、舌を差し入れる。誰に教えられたわけでもないのに、相手のことが欲しいと思うと、身体が勝手にそう動いた。歯列をなぞり、素直に絡みついてくる舌を舐ってやると、鼻にかかった甘い声と共に流川が首元に抱き着いてきた。

 顔を離して、腰を支えながら角度を調整する。だいぶ慣らしはしたが、どう見ても狭くて慎ましやかなそこに、コンドームを装着した自身のペニスをひたり、と合わせる。流川が大きく喉を鳴らした。

「息してろよ」

 それだけ言って、流川のナカに腰を進めた。狭くて熱いそこは、指よりも太い異物に驚いたようだったが、根気強くゆっくりと挿入を続けると、やがて蕩けるように綻び、桜木のペニスにキスをするように絡みついてきた。

 やべ、全然もたねえかも。

 そんなことを思いながら視線を少し持ち上げると、流川と目が合った。というか、挿入の間ずっと桜木の顔を見ていたらしい。

「んだよ」

「ん」

 また単語以下の音である。それでも、その表情とフェロモンは言葉よりも饒舌に、桜木に流川の感情を伝えてきていた。

 高校一年生で出会い、あのヒート騒ぎが起こるよりも前から、流川は桜木のことを待ち続けていたのだ。それは、偏にバスケを一緒にやりたいという感情であり、恋心とも違う、もっと本質的なものだ。出会ってしまったから、見つけてしまったから、これからも一緒にいたいから。

 先に海の向こうへ旅立つ流川は、やはり桜木と一緒にバスケをするため、今こうして身体を繋げたがったのだろう。自分の中にも桜木の中にも、お互いを残すために。

「ルカワ」

 律動を始めると、流川がまた涙を零したので、名前を呼んだ。溺れるように伸ばされた腕を掴んで、自分の背中に回させてやると、慈しむように背骨をなぞられた。すっかりくっついて、なんなら医者に「前より強くなってるよ」などと笑われたそこを、流川は愛しそうに何度もなぞってくる。

「あっ、あっ、さ、く……っ待て」

「なん、だよ?」

 深く挿入れたまま、小さく腰を揺らすと、流川は「ダメ」と言った。単語で言われても分からんと、桜木は腰を引いた。挿入れる時より抜く時の方が気持ちが良いのか、流川が声も無く喉を晒した。

 背中に回っていた手が離れて、「おや」と思って見下ろすと、流川は必死に自分のペニスを擦っていた。ああ、ナカだけだとイけないからキツかったのか。

「勉強になった」

 呟いて、腰を支えていた手を流川のそれに重ねてやる。腰を再び深く突き入れながら、流川の形の良いペニスを擦り上げた。白い指に自分の指を絡めつつ、亀頭をくり、と舐ると流川は高く喘いだ。まあ、ここに関しては自分の身体にもある器官なので、そりゃ良いところは同じだよなと思う。

「自分でやれるか?」

 そう訊くと、流川はコクリ、と頷いてペニスをまた擦り続けた。長い指でカリ首を引っ掛けつつ、反対の掌で竿部分を擦り上げる様があまりにも淫靡で、更に自分の中心に熱が集まるのを自覚した。流川も気付いたのか、「でかくすんな」と途切れ途切れに言いながら、涙目で睨みつけてくるが、不可抗力である。

 片脚を抱えあげて、より深く挿入する。腰を使って反応の良い部分を突いてやると、流川の声がどんどん高く大きくなっていく。こんなに声を出せるんだなコイツ、と思いながら、桜木も絶頂に向かってスパートをかけた。

「ひっ……ん、あ、あっ!イク……っ」

「ああ、イけよ……っオレもイくから」

 言いながら内腿に吸い付いた途端、流川の身体が大きく跳ねた。ナカへの快感とペニスへの快感で混乱したように、勢いの無い白濁液がそのペニスから溢れて、トロトロと腹を汚していた。同時にキュウ、と締め付けてくる後孔の刺激で、桜木も射精した。皮膜に覆われているとはいえ、自分を好ましく思っているΩの中に射精をするというのは、健全なαにはとんでもない刺激で、グラグラと頭が茹だるように熱くなる。

 お互いに荒い息を吐きながら、ナカからペニスを抜き出して、その身体を抱き締めた。長い腕がまた桜木の背中に回ってきて、ぎゅう、と抱き着かれる。

 なるほどなあ。

 これは、ヒートの時じゃダメなわけだ。そう思った。

「さくらぎ」

 眠そうな声が呼んでくる。「起こすから寝とけ」と言って抱き締めたまま横に転がり、黒髪を撫でてやると、すぐに穏やかな寝息が聞こえてきた。流石は寝ながら自転車を漕ぐ男である。

 少し早かった鼓動は、徐々に落ち着いて、やがて規則正しく刻みだした。体温と、心臓の音。それだけを感じながら、流川という存在を確かめるように、感触として自分に刻み込むように、桜木は瞳を閉じた。

 

 

 空港への見送りには行かなかった。

 卒業式の後、桜木も色々と忙しくしていて、安西の勧めで三ヶ月程のバスケットボールキャンプというものに行くことにしていた。要するにアメリカでの短期の体験留学のようなもので、次年度の二年制大学への留学の前に経験を積んでこいという。

 大学からの推薦もいくつか来ていたけれど、桜木は自分の将来展望のようなものを、桜木なりに大学側に話した。特に海南大は最後まで声を掛け続けてくれた上、「短期留学から戻ってきたら練習に混じってくれても良い」とまで言ってきて、桜木は大いに驚いた。中学までの自分であれば絶対に起こり得ない、人から求められるという経験だった。

「本当に良かったのかよ花道ィ?」

 短期留学のパンフレットと向き合う桜木に、水戸が言う。四月からの就職先が決まっていて悠々自適な生活をしていると嘯く水戸は、頻繁に桜木の様子を見に来るようになっていた。バスケを始める前は、毎日のように遊びに来ていたので、なんだか懐かしい気持ちもあった。

「空港でなんかこう、別れを惜しむみたいなやつやっとけよ」

「なんだそりゃ。やらねえよ」

 桜木は笑った。パンフレットから顔を上げて、水戸を見る。水戸はいつもの静かな表情で、窓の向こうの青空を見ていた。飛行機雲が伸びていくのを、桜木も見やった。

「不思議な奴だよな、流川」

 水戸が言う。思わず視線を向けると、水戸は自嘲するような顔をしていた。

「全部かっさらっていっちまうんだもんなあ」

「何の話だよ」

「親友を取られて寂しいわけよ、オレは」

 言いながら、水戸は桜木の手からパンフレットを取った。中身を読みつつ、「花道がアメリカだってよ、親父さん」などと小さな仏壇に向かって言う。桜木はくすぐったい気持ちになった。水戸はいつも傍にいてくれた、最高の友達だと思っているし、これからもずっと同じ距離感でいてほしいと思っていた。

 パンフレットの文言を読み上げる水戸は、「楽しそうだなこれ」などと言って笑っていた。

「あーあ、さみしー」

「親父、珍しく洋平がガキみてえだ」

 桜木も仏壇に向かって言うと、水戸は声をあげて笑い出した。パンフレットを置いて、畳に寝転がってしまう。

「アメリカにも応援行くぜ。ついでに流川の奴も応援してやる」

 水戸が笑う。桜木は唇を軽く噛んでから、「おう」と綻ばせた。水戸は有言実行の男なので、きっと本当に応援に来てくれる。桜木の話した将来の展望というやつも、決して笑ったりはしなかった。

「だから、さっさと追いかけてやれや。ワガママな王様を」

「洋平……」

「あーあ!腹減った!花道~なんか作れよ」

 水戸が照れ隠しのように言うので、桜木は素直に立ち上がり冷蔵庫へと向かった。さて、何があったかな。卵に玉ねぎ、ベーコン。冷凍しておいた白飯もあるので、これはあれだな、と桜木は鼻を鳴らした。

「オムライスだな」

「なんつー可愛いもんを作るんだよオメーは、その図体と顔で」

「ぬ。失礼な奴め。洋平のだけケチャップライスじゃなく白飯のままにするか」

「ごめんなさい。ケチャップライスにしてください。お願いします」

 ゲラゲラ笑いながら、台所に立つ。さてさて、まずは玉ねぎを切って、それからそれから。

 いつかの夕暮れ時を思い出した。次に、嵐のように押しかけてきたキツネを思い出す。オムライスを作る日は、いつも少しだけ心細くて、いつも誰かの温かさがあった。

 大丈夫、大丈夫。

 口ずさみながら、卵の黄色にバスケットボールを描いた。

​END

bottom of page